ラング・ド・シャ

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生駒里奈は選ぶ人だと知ってしまった

今日は初めて女の子のアイドルの話をします。

なんとなく苦手だった子のことを苦手じゃなくなることはあっても、大好きになることはなかなか無い私が、生駒里奈におとされてしまった。大好きになったというよりはおとされたんだと思う。ただ、決して突然ではなく、この一年半ほどかけてじわじわじわじわだから、薄々これはまずいのでは?と思った段階で引かなかった私が悪い。むしろこの春くらいからは自らハマりに行った。

私が生駒に対する苦手が消えたのはAKB48との兼任になってからだった。それまでの生駒に対して私が思っていたことは顔がタイプじゃない。しゃべり方が情けない。もっと堂々としたらいいのに。だった。なかなか酷いけれども、本当にそう思っていた。唯一、MVでの表情が時折ハッとする美しさで評価したことはあったけど、ただそれだけだった。
生駒を理由に乃木坂46を避けていた私が、AKB48の中にいる生駒を見て、生駒のことを、そして乃木坂46のことを知りたくなった。


生駒がAKB48との兼任が決まった時、私は、それを生駒が会社とかプロデューサーとかそういうものに振り回された結果、流された結果だと思った。私の中で生駒はずっとそういう、周りに振り回されているという印象の子だった。でも、テレビの向こうでAKB48の衣装を着て歌う姿を見た時、私は気づいてしまった。生駒はアイドルの顔をしていた。顔が顔だから明るい!という印象にまではならなかったけど、表情が違った。生駒はこれを自分で選んだんだと感じた。そして、それは生駒の言葉に触れる中で、確信に変わった。もちろん、提案したのは生駒からではない。でも、決断したのは生駒だった。それを知った時、私は兼任が決まった時のことを思い出した。賛否両論……いや、どちらかといえば反対意見の方が多かった。

私は生駒を怖がりだと思っていた。センターに立たされている時彼女は他人の言葉にひどく傷ついていると怯えていると思っていた。そんな彼女が自ら荒波にもまれようとしたことが不思議で仕方なかった。

「知りたい」と思って乃木坂46を見るようになって、乃木坂46の魅力や足りないことが外野なりにわかるようになってきた。でも、それはあくまで外野なりで、私はもっと近くでそれを感じたいと思った。女子アイドルは昔から大好きだけど、女子アイドルの現場では個人的にトラウマがあるから、できれば避けたいものだった。でも、そんなことも言ってられないところまで、生駒に、乃木坂46に惹かれ始めていた。ツアーに申し込んだら当たった。もうハマるしかないと覚悟を決めた。

悲しみの忘れ方を観た。私が生駒に抱いていた疑問が解決した。彼女は選ばれた人ではなく、選んだ人であり、これからも選ぶ人なんだとわかった。生駒がもう夢は叶っているようなものだと言った時、私は驚かず、納得した。腑に落ちた。本当はアイドルになることを望み、アイドルになった生駒。

その上で、さらに叶えたい夢が彼女にあるのも事実。
私にはそこまでこだわる必要あるのかな?と思うほど、生駒は紅白出場にこだわっている。そりゃあ、出場しないよりした方がいいことだろう。けど、2014年、出場できないとわかった時の生駒の泣き顔を見た時、そこまでのこと?と思った私がいたし、なんなら今もその私はいる。だけど、生駒がそれを選びたいのは乃木坂46のことを考えてるからだろうなと思う。悪く言えば生駒は乃木坂46のことしかいつも考えていないけれど。

生駒のことを見ていると、たぶんこの人一生ある程度のアンチがついたままこの世界を生きていくんだろうなぁと思うけれど、そのアンチの理由が、昔のセンターだからって甘く生きてそうだとか、弱々しそうだとか、顔が気持ち悪いだとかから、強気だとか暑苦しいだとか変人だとかに変わっていく気がしている。私は後者のようなことを言われる女の子になら、ついていきたい。生駒がセンターだろうが、センターじゃなかろうが、彼女が乃木坂46を動かしたい人であるなら、動かす人なら、私は彼女を追いたい。

正直、今更生駒里奈かぁ~と思ってる。だけど、そう思いながらわりとワクワクしてしまっている私もいる。生駒が乃木坂46の一員として選ぶ景色に、生駒が動かしたい乃木坂46に期待してる。
これからよろしくお願いします、生駒里奈さん。