ラング・ド・シャ

口が悪い。ツイッターはummernow

いつの日もキミを眺め僕は強くなる

今年のツアーとドリボで千賀くんに色々と感じたことが多かったので、デビュー直後(といってもデビューして半年くらい経ってから)の10000字インタビューの言葉の一部を文字起こししていたのを今更引っ張り出して、今現在千賀くんが思ってることと、私の思いの変化を再度確認したいと思う。今日はそういう自己満の記事です。


「マイケルと出会うまで、ダンサーをめざしてたのが、表現者に、エンターテイナーになりたいって思うようになって」

―――ぼんやりしていた夢が、少しずつ明確になっていったんだ。
「僕の中で、ひとつ大きな転機があって。小学校の卒業式で卒業証書をもらうとき、僕の学校は自分の夢をみんなのほうを向いて言うんです。リハーサルでは、“僕は将来デザイナーになりたいです”って言ったんです。父がデザイナーで、絵を描くのも好きだったんで。介護福祉士が第2候補でした。マイケルみたいなアーティストになりたいって想いもあったんですけど、現実味がないんで、それは心の奥にしまっておいたんです。で、翌日の本番の式で卒業証書をもらって、みんなのほうを向いて、“僕の夢は…”まで言ったんですけど、“デザイナー”って言葉がなぜか出てこなくて。次の瞬間、出てきた言葉が“みんなに夢や希望を与えるアーティストになりたいです!”でした。自分でも、“あれ!?俺、言っちゃった!!”って思ったけど、すごくスッキリして。夢が明確になりました」

―――(玉森とセンターが変わった時)悔しかった?
「すごく悔しいかったですね。求められてきたことも変わるんです。イジられることも少なくなって。えげつないし、言わなくてもいいことだけど、“なんで、ここもここも、ここもちゃんとできてるのに、俺じゃダメなんだ”って、思ったこともありました。立ってるだけで輝くアイツがなんでセンターなんだよって。“俺の何がダメだったの?ダメだったとしたら、なんで言ってくれなかったの?”って」

―――誰か、手を差し伸べてくれた?
「翔くんに、“自分と戦え”って言われました。その言葉は響きましたね。世界が狭かったんです。“こいつよりはできるからいいや”って、どんぐりの背比べみたいなこと考えてて。“なんで、このレベルで満足してたんだろう。俺、何をめざしてたんだっけ?”って。だから、マイケルのビデオすごく見返したり、たくさん、いろんなアーティストのライブを見たりして。戦う相手を間違ってたなって、そういうことに、少しずつ気づいたんです」

―――ただ、デビュー後も、自分の存在価値について、悩み続けてたんだよね。
「それもやっと、ロスに行って吹っ切れました」

―――ロサンゼルスに?
「今年の初めにオフがあったんで、ひとりでロスに行ったんです。僕、マイケルが亡くなったとき、本当に落ち込んで。俺、死ぬんじゃないかってくらい。まだマイケルのお墓に行けてなかったんで、手を合わせに行きたくて」

―――それで悩みが解決した?
「ハリウッドの大通りを歩いてたら、いろんなダンサーが、ダンスバトルしてたんです。すっごい、いい顔して笑いながら踊ってて。自分を表現することが楽しいって思う人たちが、世界にはこんなにたくさんいるんだって。俺には、表現する場が、最高の環境が揃ってるのに、彼らほど楽しんでるかなって思って。“なんで、彼らみたいに楽しまないんだろう”って思ったんです。そしたら、聞こえた気がして。“ダンスは好きか?”って。僕、やっぱダンスが好きなんです。だったら、もっと楽しもうって。そこから、歌うこと踊ることもすごく楽しむようにして」

とりあえず、これくらいかな。
この数年後また死んだような顔を私は見せられたけどな……って思いながら今また読んでるんだけど、この当時みたいに悲しみや苦しみが込み上げることはないから、色々あったけど、今も色々あるけど、ちゃんと、少しずつ進めてるのかもしれない。

私にはダンスの魅力はよくわからない。だから、ダンスにこだわってる千賀を見る度、それほどのことなのかって新鮮に思うのだけど、それに対して千賀が本気だってことはいつも感じるから、少しずつ千賀のしたいこと、やりたいことが、形になればいいと思ってた。うん、少しずつでいいと思ってた。そもそも、「みんなに夢や希望を与えるアーティストになりたいです!」なんて無理やろ。私は千賀から夢や希望をもらってるけど、みんながそうはいかないだろう。そんなの千賀だってわかってるんじゃないかって思ってた。ただ、私が、千賀を見ていきたいのだから、私が見える範囲で、見える形で、少しずつでも成長すればいいと思ってた。だから、今回のツアーも、千賀が振り付けた曲に、青いペンライトを振ることや拍手を送ることで評価を伝えればいいと思ってたし、それで満足してた。実際、私はそれを見てる最中ずっと幸せだったし、ツアー始まりの京セラ公演が終わってからの数日間も私はずっとずっと幸せを噛み締めてた。

それは違うって気づいたのはほんとここ数日の話。今月発売の雑誌のインタビューを見て。

―――Q.20年後どうなっていたい?
「ビッグになっていたい。今の、アイドルという仕事で、世界でも勝負できているといいですね」

えっ。この人、小学校の卒業式の時と思ってること変わらんやん。
弱気になること、妥協すること、何度もこれまであっただろうし、今もそういうのあるはずなのに、もう24なのに、まだ「世界」なんて言う。
・・・バカなん? いや、彼なら本気かも。

私はファンだから、私の見えるところで少しずつでも成長してくれたら幸せだって思ってた。けど、本人はここで止まっていいなんて思ってないんだなって。

この記事を読んだ後にドリボを観劇したから、なんかもうめちゃめちゃ泣けて。ついこの前始まったばかりのツアーで見た千賀とも比較したり重ねたりした。

大変な人を好きになってしまった。久々に、また、そう思った。
前思ったのはロサンゼルスに飛ばれてしまった時。本当にそのことはしばらく恨んだし、今も引きずってる。なんかその後もちょいちょい海外行ってたし意味わからん。万が一、どこか行かれたらどうしようって、ずっと不安だった。我が儘だけど、私のために、彼にはアイドルでいてほしかった。
だけど、なんかもう今そのレベルの話をしてられない。今も私は幸せだよ。だけど、千賀がほんとにそう思うなら、そこまで見たい知りたいついていきたいせめて今よりもそこに近づきたい。それをアイドルという姿で叶えようなんて思ってるなら、もっともっと好きになってしまう。

私がこれまで好きになったデビュー済みの人で、ここまで大きな夢を抱いている人はいなかったから、正直バカなんかなって思う部分もあるけれど、でも、千賀の熱さに心底惚れてる。

ダンスのことは私にはやっぱりわからんし、わけわからんことやらかしたり発言してくることもある(つい最近もあった)けど、この熱さは本物だなって思うから、私にできることなんてほとんど無いけど、無いなりに、たくさん思わせて、たくさんやらせてほしいよ。私は千賀に夢や希望をもらってるから、返したい。

てっきり、千賀くんへの思いは高熱からあたたかみのようなものに変わったと思ってたんだけど、どうやら違うみたい。まだまだワクワクハラハラさせてくれてありがとう。ハラハラはそろそろやめてほしいところだけど、好きが勝つ内は見守ります。

いつかささやかなキミの夢が地上に舞い降りるとき 誰よりもそばで僕が見届けていたい