ラング・ド・シャ

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まさか、こいつのうちわを持つなんて

小瀧望。私が彼を知ったのは7WESTができた時、つまり私は入所した時から彼を知っている。7WESTができる前から私は桐山担で、桐山を降りる2011年までは松竹座に通い続けたし、桐山を降りてからも私にとって関ジュは特別だったから以前より回数は減らしても必ず見に行った。だから、小瀧がいる現場にはだいたい私もいた。なのに、2014年になって、今更小瀧のうちわを持ってしまった。

7人の7WESTの時からこの中なら小瀧だな、とは思ってた。単純に顔が好きだった。あと、みんなに追いつかなきゃとダンスを頑張ってるのも好感が持てた。でも、それだけだった。私が小瀧を7WESTの中ならという枠ではなく一人の人として意識し出したのは2011年冬。忘れもしない。正直、思春期あるあるのキャラブレかなんかだと思った。でも、2012年春、彼が「今の小瀧嫌だ、前の小瀧に戻って欲しいって反応がファンからあって葛藤した。でも、もうこのまま行きます!」と言った時、私はそれが小瀧の決断なんだと思い知らされたし、その時初めて小瀧を「好きだ」と思った。
担当でもなんでもない相手だったけど、私は小瀧をとても評価してたし信用してた。年を重ねるにつれよくない話が聞こえてくることもあったけど、ステージに立つ小瀧にはとても満足してた。必ず彼はデビューすると思ってたし、実際やっぱり彼はデビューした。

なにわともあれでジャニーズWESTとしての公式うちわが販売されることになったこと。今思えばあれが運命の分かれ目だったかもしれない。私は担当じゃない子のうちわも推しならば平気で持てるんだけど、元担のうちわってのは持つことができないタイプで。だから小瀧のうちわを持ってみることにした。よくよく考えればうちわを持たないって選択もできたのになんで持ったのかな(笑)
松竹座で初めて小瀧のうちわ(公式だけど)を持って、小瀧をずーっとずーっと見てみた。…ら、びっくりするくらい冷めた。小瀧ってこんな程度の人だったんだって。一ヶ月前、同じ場所で関ジュが必死に頑張ってたのを見てしまってたから、それと比べてしまってよけいにショックで。
新橋なら違うかも。そう期待して、小瀧のために初めて遠征した。ら、これがもうほんとに散々だった!!!散々すぎて爆笑した!!!こんな男に私わざわざ大阪から無い金出して会いに来たの?バカじゃないの!!!異常なくらい髪の毛何回も触るのもウケなくてふてくされた顔もつかれたわぁーって感じで踊るのも度の越えた下ネタ言うのもはぁ?!何様なの???ええかげんにせぇよ!!!信じらんない。10年ぶりの関西からのデビューなんですけど。私が評価したきみはどこに行ったの。悔しくて悔しくてたまらなかった。怒りという感情は恐ろしい。私は私が思っていたよりもずっと私が知っている小瀧を信じてたみたいだった。

夏、私は祈る気持ちで彼の名前のうちわを作った。持つかどうかは、舞台を見てから決めよう。もし、今回がだめだったら、私はもうジャニーズWESTから離れよう。そう考えてた。幕が上がる直前、私は緊張で死にそうだった。不安でぐちゃぐちゃになりそうだった。信じてたものが崩れちゃう可能性を考えると怖かった。
幕が上がって、小瀧が出てきた瞬間、私が真っ先に思ったこと、それは「知らない」だった。私、この人、知らない。一言目を発する前から気付いた。びっくりした。泣きそうになるのをぐっと我慢して必死に目を開けて彼を見つめた。彼は本気だった。
私は当初の予定よりたくさんチケットを増やし、つまり通うことなり、当然のように日生の方にも行き、千秋楽まで彼を追いかけた。演技も歌も他のメンバーに比べるとまだまだ下手くそかもしれない。でも、いつも本気だった。髪が乱れておでこに貼り付いてしまっても気にも止めないのとか、役を崩さないようにわりとゲラのくせにアドリブに反応しないよう頑張ってるのとか、痛いの苦手なのに体当たりで演技して手足に傷作ってるのとか、役に入りきって涙出ちゃうのとか、全部全部格好よくて、そんな人のうちわを振れるのが幸せだと思った。千秋楽、何度も何度もガッツポーズしてた小瀧の姿を思い出すと、涙が出そうになる。やりきったって顔、最高だった。

まさか、自分が小瀧のうちわを持つことになるなんて。と、今でも不思議でたまらないんだけど、ぐっと引き寄せられてしまったのは本当のこと。

色んな場所で、きみのうちわを振りたい。