ラング・ド・シャ

口が悪い。ツイッターはummernow

末澤のこと

書いとく。

あの8人という括りができる前に退所してしまった子の方が好きだったし、あの8人の括りでも他の子のキャラの方が好きだったし、ダンスもまた他の子の方が好きだった。末澤の入所より私が関ジュの現場に行き始めた方が先だったけど、正直末澤のことは琴線に触れずで、Aぇ! groupの末澤誠也になるまで視界に入れたことはほぼなくて。あっ、WESTの一発めぇの末澤は好きだったなってくらい。ビジュアルくそチャラビジュアル大好きなので。なんかでもほんとにそれくらいで。Aぇ! groupができて、なんとなくAぇの出番の時は末澤見てたけど、べつにそんな好きみたいな感情すら沸かずで。くそチャラビジュアルの時はテンション上がったけど、まあそれだけのことで。

Aぇのファーストツアーで、初めて末澤のこと好きだなと思った。
エイトの曲はやるやろなって覚悟はできてたけど、自分が好きな曲をされて、もし不満に思ってしまったら嫌だなぁとドキドキしながら入った初日。バンドコーナーになった時、末澤の歌声にめちゃくちゃびっくりしてしまったの、今でも鮮明に覚えてる。末澤の歌声はなんか綺麗やなって印象しかなかったから、あんなパワフルだと思わなくて。ただ大声出してるとかじゃなくて、そこに思いが乗ってるのが伝わってくるパワフルさで。歌われた曲が個人的に思い入れのある曲だったから、それを末澤が大切にしているのがダイレクトに伝わってきたことがめちゃくちゃ嬉しかった。
連日公演があった大阪では喉がやられて思ってたように歌えないなんてこともあったけど、その時も歌詞にずっと思いは乗せられてて、枯れててもこっちまで届いた。温度の変わらない末澤を見て、好きだなってもっと思った。

年が明けて関ジュみんなでの京セラが終わって、春松竹がコロナの影響で中止になって、8月は配信で、やっと現場で直接声を聞けるようになった9月。正直、配信では歌にうーん…って思うところがあったからドキドキして初日を迎えたけど、客席見てすごい嬉しそうな顔して「久しぶりー!!!」って言った時の声量がバカだったから、そこでもう不安は一気になくなってしまった。末澤たぶん客がおると普通の三倍くらいは声出るんちゃうかな。去年の大阪よりもハードな5日間10公演のスケジュールだったZeppだけど、末澤はオーラスもしっかり声出ててむちゃくちゃ楽しそうに歌ってた。そんなんだからドリパビの頃にはもう末澤の歌声を不安に思うなんてこと無くなってた。

コロナの影響であけおめが無観客配信になって、カメラ越しでもしっかり届く歌声に「会いたかったのに」の気持ちが爆発した。5月頃、仕事でつらいことがけっこうあって会社から泣きながら歩いて帰ってる時とかはとくに、末澤の歌声が聞きたくてどうしようもなくなった。
ダンスが好きだとか演技が好きだとかはよく言うのに、歌の話をするとシンプルに好きだという言葉にならないことが多いなってのを感じてて。もしかしたら技量ってことなら他のメンバーの方がってことを思ってるとこあるんじゃないか?なんて思ったりもする。けれど、なんか私には末澤の歌声がめちゃくちゃ届くし、末澤の歌っている時の顔がほんとにほんとに好きだ。

ここまで8/23に書いてた。ほんとは8/24ジャストに書ききるつもりだったのに結局何が言いたいかまとめられず、わからず、途中で諦めてしまってた。
8/24、松竹座で末澤のお祝いしてきて、今もう2時半前とかだから日付もとっくに変わっちゃってるけど続き書く。

今でこそ末澤のダンスとか演技とかちょっとした仕草とか表情とか好きになってるけど、末澤があんなに楽しそうな顔して歌うこととか、あんなに熱く歌う人だってこと知らなかったら、きっと私はこんなには末澤のこと好きになれてないんだと思う。末澤がマイクも持てない月日の途中で辞めることなくここまで来たことが、私を大きく変えてしまった。
公演終わってweb開いて末澤の更新を読んで、ちょっと泣いた。現場でそのパートを歌う末澤を見た時、末澤この歌詞好きなんだなって思ったの、懐かしい。他人が書いた歌詞であっても、そこに思いが乗ればそれは末澤の言葉になる。そういうとこが私が末澤の歌を好きな理由だったりする。
さっき末澤が赤一色に染まる会場見渡してめちゃくちゃいい顔してるのを見て、いつかAぇで城ホとか京セラでも夏コンして一面真っ赤にして誕生日お祝いしたいなぁなんてって思った。その時、私は赤い群れの一つでいたい。今日、これまでになくはっきりと夢見てしまった。たぶん、手のひらが背に触れたんだと思う。

「SixTONESさんとSnow Manさんのデビュー日に被っていますが埋もれないように頑張りましょ!」

この言葉がどれだけ嬉しかったか、たぶん彪太郎にはわからないだろうけど、私はすごく嬉しかったんだよ。

1月22日が、Lil かんさいの結成日ってことは、まだまだ多くの人に知られてないと思う。

Lil かんさいの結成一周年を振り返るには、どうしても康二に抱いた気持ちが個人的に切り離せないから、この機会にそっと残しておこかな。

2019年8月8日。ド平日だけど、私は仕事を休んで東京ドームにいた。それはもちろんこたさんの初上京現場を見届けるため。前乗りした時からテンションは高かったと思う。高かったというか、高くしていないとって努めてた気がする。

1月22日、Myojoでぬるっと発表されたグループ名。ぬるっとだったけど、仲間ができたことはとても嬉しかった。個人的には自分の感覚が古いから、金内を応援してた時のこと思い出すと、やっぱり高一になる年には最前列に食い込むとか、グループができるとかじゃないと間に合わないかもしれないって思ってたのもある。最近は高校卒業のタイミングでここを離れるって子はずいぶん少ないってのはわかってるけど、でも、そういう節目に選択の時間は必ずあるわけで。できるならずっとこたさんのこと応援したいから、高二が勝負だと思ってた。だからここからだって強く思ったのを覚えてる。

ジャニーズWESTのコンサートでグループ御披露目して、春松竹では去年のようなローテで喋る立ち位置ではなくてちゃんと任された役があって。行ける!そう思った春から8月まで、なーーーんにもなかった。いや、「なんにもなかった」は言い過ぎなのかな?でもどうしてもグループである限り、なにわ男子やAぇ! groupと比べられたり、比べられるべきポジションではあると思ってるから、二組がメディア露出しまくったり公演をしてる間、何もグループとして仕事ができないのはもやもやしてた。実力とか実績がまだないとしても、グループになったってことは何かしら期待されてのことだと思ってたから、グループに何も仕事がないってのは、グループになった意味がどこにあるのかななんて思ってしまって。春松竹から夏松竹までの間に変わったことと言えば、あんなに距離のあった拓哉と親友かってくらい毎日一緒にいるようになったことと、なんかグループのリーダーになったことと、ピアノを練習し始めたこと。ピアノ練習し始めたのは意外で、できないことをできるようにしようと挑戦してみる姿勢が嬉しかったけど、それくらい暇なんだなぁと思うくらいには当時私は拗ねてたな(笑)

8月2日。夏松竹初日。どうかLil かんさいに曲がもらえますようにって祈ってた。正直少年収で歌ってなかったから諦め半分だったからLil Miracleを披露された時はほんとに嬉しかった。やっとLil かんさいがグループとして認められた気がした。グループとしての希望が見えた気がした。
正直、こたさんには微妙な気持ちだった。久しぶりに見た姿はすっかりDKで、表情もぐっと大人になって、もとからカッコいい顔がさらにカッコよくなってて、こっちを見つめる目線もちょっと前は「イキってんな」て笑える余裕があったけど、完全にこちらが支配下扱いみたいな男の目で見つめてくるし(言い方きもくてごめん)めちゃめちゃ骨抜きにされたし沸いたけど!公演後会った友達みんなに引かれるくらいで一人盛り上がってたけど!でもなんか、ほんとはうまく言えないけどなんか笑顔が一気に減って寂しかったりもした。ちょっと前までは、ただ楽しいから勝手に笑ってるってのが多かったのに、演出的に笑うとか、ファンと目があうとふわり笑うとか。それは確かに成長なんだろうけど、なんか温度差があって。けど、そんなのまあ初日だからかな?って思って片付けて、そんなことより私は東京ドームでLil Miracleを聞くねん!!とモード切り替えたけど。

8月8日。オープニングから異様な空気は感じてたけど、私が見たいのはこたさんだし、Lil かんさいだし、って、あまり気にしないで時間を過ごしてた。でも時間を過ごしても過ごしてもこたさんは出てこないし、出てきたと思ったらすぐ消えるし、どんどん不安は大きくなっていって。MCではける側になったLil かんさいには、わかってはいたけどなんの発表もないんだなとわかってしまって、そこからしばらくは正直記憶がない。色んなグループの新しい仕事が発表されて、Lil かんさいはまだそこじゃないんだなぁと痛感したのはしたけど。ステージにSixTONESSnow Manだけが残って、やっと自分がぼんやりしてる場合じゃないことに気づいて、祈るように康二を見てた。何が起こるかはわかってたはずなのに、デビューの発表を聞いた時、自分が思っていたより混乱してしまって泣いて震えるのを、隣の妹が支えてくれた。金内がいたらどうなってたんかな。いたらこうはなってないわ。金内もデビューを目指せるような立ち位置にはいたって思っていいんかな。なんで関西でデビューさせてあげれなかったのかな。あげれなかったって私どの立場やねん。よかったこれで解放される。やっと成仏できる。ああでもなんかめちゃめちゃ悔しい。でもやっぱめちゃめちゃ嬉しい。やっとデビューか。ほんまにデビューするんか、すごいな。康二の努力が、思いが、報われる。なんだかんだ一番デビューしてほしい存在だった。悔しいけど。みたいな。なんかもう情緒やばい奴みたいになってしまってて。そしたらFIRE BEATでJr.たくさん出てきて、そこにこたさんもいて、めちゃめちゃカッコいい顔してて、ああでもこれもとの顔がいいからかとかなんかのんきに思ってしまって。気づいたらはけて、少ししてバクステだったかな、なにわが出てきて縦花にLil かんさいがいてバックみたいに踊って、なにわが歌い終わったらメインステにAぇが出てきて、あっ、Lil かんさいは歌わんのか、って思って、そっからもう記憶がほぼない。20時の壁が来て琉巧がはけてしまうからそもそも空気のLil かんさいがますます空気みたいになり(めちゃ悲観的表現だけどその時はそう思った)、こたさんは夏松竹初日みたいにほぼカッコいいで表情が固まってて、たまに笑ったと思ったらカメラ用の笑顔か数少ない自分のファンを見つけた時くらいで。リアデラを踊るこたさんをぼんやり眺めながら、私がマジで応援する人はまたデビューできないんだなぁって思った。最後の最後に目の前を走り去る時、お手ふりじゃなくて何かを飛ばしてくれたけど早すぎて何したんかわからんし、そもそもそんな雑じゃ私を見てやってくれてるんかどうかもわからんから「目細すぎてわからへん!」て思わず声に出してキレたけど、ほんとはそれに怒ってたわけじゃないって、今ならわかる。子供か、私は。

ふんわりしたまま夏が終わって、相変わらずなにわとAぇみたいにグループとしての仕事は全くなくて。私は暇すぎて雑誌とか媒体にLil かんさいが見たいですみたいな要望ばかり送ってた。義務とは思ってなかったけどべつに楽しくもなくて、潮時かもななんて思った。こたさんが楽しそうに見えないのに、楽しめるわけないやん。自分より昔からこた担だった人が何人か降りて、かわりに三倍四倍くらい新しいファンが増えて。べつにこたさんが悪いわけじゃない。魅力的な部分がどこかってのが変わった、それは年とか立ち位置とか姿で左右されるところも大きいのはわかってたし、だから責めたくもなかった。

Aぇツアー初日。年は上だけど同期の晶哉のバックにつくのは正直複雑な気持ちだったけど、こたさんはとっても楽しそうで。やっっっと見たい顔が見れた。そう思った。長かった、マジで。もう見れないと思ってた。私はバック仕事なんて求めてないって思ってたけど、その顔を見て、こたさんに必要だったのはこれだったのかもななんて思った。前みたいに勝手に楽しそうにしてる姿。でもずっと勝手とかじゃなくて、キメるとこはキメる。楽しむがベースにあって、そこに上乗せで自分の見せ方とか思いがある感じ。こたさんが前にやっと進んでくれたと思った。なにわのツアーもJUMPのバックも、まるで社畜のようにステージに立ってた11月と12月。たしかに全部バック仕事だったけど、Lil かんさいとしてたくさんステージに立って、メンバーとの時間が濃くなっていくなかで、こたさんの顔の角度が斜め45度下からまっすぐになったように見えた。

12月23日。かんじゅ日誌の更新。そこで言ってくれたのが今回の記事のタイトル。Lil かんさいの結成日。私は記念日とかこたさんみたいにそこまで気にするタイプじゃなかったんだけど、自分たちの結成日がSixTONESSnow Manのデビュー日によって忘れられてしまわないように頑張る!っていう気持ちが、すごく嬉しくて。その言葉をわざわざ言った強さも嬉しくて。そのあとにLil かんさいの目標「単独公演」の書き初めの写メを載せてくれたことは、たぶんずっと忘れない気がする。

1月4日。テレビ愛知で初冠番組。人生で初めてテレビのために遠征した(笑) 共演の流れ星さんのフォローもあって、番組のコンセプトもおもしろいのもあって、あっという間の一時間で。好きな人達がテレビに出るってこんな感じか~なんて思ったりもした。

関西Jr.で初の京セラドーム公演。3days。何が起こるかわからない初日。一曲目、目の前に今までで一番キラキラした衣装を着たLil かんさいが出てきて、びっっくりしすぎて記憶がもう断片的(笑) 公演のセトリとか構成とか色々思うところもあったけど、関西Jr.がコンテンツとして今盛り上がってるんだなって謎に他人事みたいに思ったりもして。迎えた最終日、Lil かんさいは初単独公演とまいジャニのメインパーソナリティになることが発表されて。こたさんは泣かへんタイプやろなと思ってたらほんまに泣かんくて、私が代わりにめちゃめちゃ泣いてた。高二が勝負だって、ずっと思ってたから。なんとか間に合ったと思った。こたさんがちびの推されの括りのなかにいる時から、ぼんやりと私が夢見てた未来に、ぐっと近づいたと思った。それはとても嬉しくて、とても嬉しいはずのことで、でも公演後会場内を歩きながら突然怖くなって、歩きながら泣いてた。我ながらかなりきもい。金内を応援してた時、まいジャニができて、なんでこいつらなんかがメインの番組ができるねんみたいな声をたくさん聞いたし、実際番組当初は実力もなんもないから見ててハラハラすることも多かったし、でも頑張ってることは確かだから、それだけはいくら赤の他人からでも否定されたくなかった。あの時と同じ思いをまたするかもと思ったら怖くなった。そんななかで力を確かにつけて、勢いをつけて、次世代なんて言葉が合わなくなるくらい大きくなって、そんな時それが弾けたら、あの時みたいに弾けたら、そう思ったら怖くなった。同じ番組を見て、同じような立ち位置のグループを応援する自分を想像したら、怖くて涙が止まらなくて。でも、会場を出てグッズ列にいったら、公演前売り切れてなかったこたさんのうちわが売り切れてて、なんか急に安心して、自分の情緒不安定さに笑ったな。

今日付変わる前に康二のすの日常読まなきゃと思って読んできた。康二が思い出した景色のなかに、あいつもたぶんいるよね。改めてデビューおめでとう。
「こっちはこっちでそのうちデビューするんで期待して待っててください!」って言うのにはまだ私には勇気が足りないから、そういうのは変なところで自信があるこたさんに任せることにする(笑)
なんであの人普段自信なさすぎやのには発言だけは強気なんやろ。さんざん文句言ったって、強気な発言にいつも救われるから悔しいなぁ。私そういう人が好きな病気なのかもしれん。Lil かんさいで円陣組む時にこたさんが「なにわとAぇに勝つつもりでいくぞ~!」って言うてるのばり正直でほんと好き。先輩とか序列とか関係ない。ライバルって思える存在がいるから見える景色もあるよね。口だけやなって言われんように頑張らんとね。Lil かんさい結成一周年おめでとう。やっと本題だけどべつに言いたいことはこれだけです。この一年、辛いこととか悔しいことの方が多かったから、それをバネにして、2020年はいけるとこまでいきましょう。
「盛り上がれんのか~?」
「俺ら次第やー!!!!!」

(すげぇ雑なのにうまくまとめた気になってるしゃおさん)

中学生の彼をこんなにも好きになること

一年前の私に伝えても、きっと、ううん、絶対信じない。

こたさんを好きになってからのこの一年は怒涛で、ずっと覚えていたいから、ここに記しておこうと思う。

2017年12月10日は、16夏ぶり(たぶん)に松竹座に入った日だ。本当に勇気が必要だったから、その日のことは今でも鮮明に覚えてる。

15春に彼がいなくなって夏と冬は辛いからこそ現実と向き合うために入って、でも、16春セトリを把握した途端身体が固まって入ることを諦めて、夏はなんか大丈夫そうだから入って、冬はなんで入らなかったんだっけ…あまり覚えてないけど、「見たい人がいるわけじゃないのになんで入るんだ?」って今更すぎることに気づいたからだっけな。まあそんなとこだと思う。それから、松竹も関西Jr.もこれまでの人生で一番遠い存在になった。他人の世界になった。

約一年前、久しぶりに松竹に向かったのは、見たいなって思う人がいたからだった。でも、それはほんとにちょっとの興味でしかなかったし、入るまで誰にもどの子が目当てなんて言わなかった気がする。(もしかしたら直前にあの子に言ったかも?みたいな記憶がうっすらあるけどツイートはしなかった。ほんとにふんわりしてたから)

夏終わったあたりかな、妹にそういえば16年組にめちゃめちゃお姉ちゃん好きそうな子がおるでと言われて紹介されたのが岡﨑彪太郎くんだった(この時はフルネームで呼んでた)。
なんか金内に似てへん?って言われて、雑誌で見せられ、まいジャニで見せられ。うつりの問題や髪型の問題で、見た目は似てたり似てなかったりしてたけど、ダンスが絶望的に下手なところが私が好きになった時の金内に似てた。
でも、似てるからって影を追うように好きになるのは違うって思ってたし、なにより中学二年生なんてショタが得意じゃない私には若いというか幼すぎて。
興味はあるけど「好き」にはなっていない。そんな中で弟組だけのクリパが決まって。
今思うと久しぶりに松竹座に行こうと前向きに思えたのはこの時兄弟と別れたおかげで康二がいなかったからだと思う。やっぱいるとさ、幻が見えるほどのことはなくても私の気持ちがはっきりくっきりわかってしまうから。

初めて見た岡﨑彪太郎くんは笑ってしまうくらいダンスが下手で、初めて人のダンス見てあんなに笑った(失礼すぎる)。あと何が楽しいのかようわからんとこでもやたら笑っててヤバさを感じた(だから失礼すぎる)。
ドンピシャ好みか聞かれるとそうではなかったんだけど、でも、なんかずっとおもしろいから目が離せなくて最初から最後までずっと岡﨑彪太郎くんを見てた。
あんなに心残りがある松竹座で最初から最後まで「楽しい」と思えたのは奇跡みたいなことだった。それだけでじゅうぶんだった。

中学生を応援するのなんて初めてでもっと戸惑うかと思ったけど、そんなのどうでもよくなるくらい楽しかったし、クリパ終わればすぐあけおめがあるしで、迷ってる時間なんて無かったなぁ。夢中でこたさん(ナチュラルにこたさん呼びになった)のうちわを作った。あなたのファンがいるってことを知ってほしい一心で。

あけおめはクリパでは別だった兄組もいたから、なんだか急に出番が減った気がしてちょっと辛かった。所謂「ちび」を応援することがどういうものなのかを初めてわかった気がした。マイクを持たない人を、最前線でない人を好きになったことなんて初めてで、会場見渡してもこたさんのうちわなんてほんとにほんとに少ししか見かけなくて。こたさんよりダンスが上手い人もキラキラしている人もたくさんいて。それでも、なんでかなぁ、私はこたさんが一番好きだった。一人でうちわを振り続けてた。そこで初めて目が合って、君を連れ出すよと導いてくれたこと、私はたぶん一生忘れないと思う。

春松竹、しぬほど忙しい仕事をむりやり切り上げて入った誕生日公演、コントにも呼ばれなくて、誰かが誕生日に触れてくれることなんてなくて、あけおめ以上に現状の立ち位置の厳しさ(いやじゅうぶんちびでは推されなんだろうけど私のこれまで好きになった人とは立場が違いすぎる)を感じて、軽く絶望して。だけど、for now and foreverで、半歩前に立っている斗亜が自分を抱くように肩に置いた手に、こたさんが自分の手を重ねた時、こたさんから斜め前にある斗亜の肩に手を置いて、それに斗亜が自分の小さな手を重ねた時、心が震えた。こたさん以外にも大切なものをうっかり見つけてしまった。

春松竹終わってすぐ発表された少年KABUKI。あまりに想像していなかった出来事で、でも嬉しくて自然と涙がこぼれてた。ばかかよってくらい狭い箱で、目の前で歌って踊って演技するこたさんは、私がこれまで見てきたどのこたさんよりもかっこよくて。一ヶ月ちょっと前に見た時よりずいぶん大人に見えた。あっ、この人めちゃめちゃ頑張って、ここまで来たんだなって、自然とわかった。それまでずっと引っ掛かってたこと「年下すぎる」「彼の本気がわからない」は私の頭の中から消えた。

夏松竹。聞きたくないから聞けないからあの日から聞かないようにずっと避けてきた曲がセトリにあるとTLで把握した初日。それから松竹座に向かうまでに思ったことは8月5日のブログで書いたので割愛するけど、結局その曲の披露が私が入った日は8時過ぎちゃったからこたさん出てこなくて泣きすぎたから記憶がはっきりしてない申し訳ない…。なんかこぉじ看守長がこたさん踏んづけたのが最高に俺得だった(こぉじ女王か…)ことと、拓哉が前に出てきててあっ、二番じゃなくなってしまうんだって悔しかったことは覚えてる。

梅芸。関西Jr.全員で歌ってきていたネクステを5人でやれたこと、1人1人にソロパートがあったこと。その状況だけでほんとに夢のように幸せなのに、こたさんがもうめちゃくちゃかっこいいから、誇らしかった。いつもは気になってしまうダンスの不自然さ・遅れが全然なくて、ただただかっこいいって思えた。二番じゃないことに悔しい気持ちがまだあったけど、そんなことより今この瞬間のこたさんが誇らしかった。あまり器用じゃないから人より時間がかかるかもしれないけど、こたさんが頑張る限りはついていこうって思えた。

クリパ。梅芸ではあったソロパートがないことを初日のTLで把握して、全然この前のことは当たり前のことじゃなかったんだなぁって今更気づいて落ち込んで。楽しめなかったらどうしようって不安だったけど、こたさんはずっとニコニコしてて楽しそうで、だからこたさんが出てる時間は私もずーっと楽しかった。ああ、一年前のクリパと変わらないなぁと思った。思うところがあるまま松竹座を訪ねても、その姿がそこにある限りはずっと楽しくて。飽きなかった。ずいぶん成長したこたさんと過ごす時間の温度は同じで、それが嬉しかったな。

年が明ければあけおめがあって、その後は何があるのかなぁ。こたさんの未来なんて全然見えなくて。3月には誕生日を迎えて、4月には高校生になる。それくらいしかわからない。わかるのは私の未来。これからもっとこたさんのこと好きになる。それだけ。それだけなんだけど、それだけはわかるから、来年もその先もとても楽しみだよ。もしかしたら辛いこともあるかもしれないけど、こたさんがそこにいる限りは楽しめるって信頼があるよ。

この一年で一番大きなことは、「好き」だけじゃなくて「信頼」が生まれたこと。

来年はきっともっと素敵なきみに会える。

どうか末永くよろしくね。

正直なところ

初日のセトリを見て真っ先に思ったのは「行きたくない」だった。
2015春、本編ラストで歌った曲。
ぶっちゃけあの日あの時の光景はトラウマだ。
だから積極的に思い出そうとはしない。覚えてても忘れたふりして日々を過ごしてきた。
思い出すと、今でも呼吸が浅くなる。
寂しさと苦しさと悲しさと悔しさと切なさと愛しさとが鮮明に思い出されるし、そしてそれはまだ私の中で「過去」になっていない。
あれから3年以上が過ぎて、前よりは泣かなくなった。けど、それだけのことでしかない。

後悔してる。
受け入れたって顔して、引きとめなかったことを。そこでずっといてほしいとわがまま言えなかったことを。
なんで大人のふりしちゃったのかなぁ。
覚悟はしていたけれど、覚悟していたからって、いい顔する必要なかった。
いい顔したせいで、結果私はまだ引きずっている。そして、引きずっても何も変わらないのに、まだ悩んでる。


あいつがいなくなってからこの曲をやるのは今回が初めてじゃない。
前の時も流れてくるレポを見て「行きたくない」と思った。理由は当然思い出したくないからだった。
そして私は行かなかった。

でも、今回は行かなきゃいけない。
行きたくない理由が、それだけではなくなっているから。
想像をしてみた。今回会いたい彼がステージでそれを披露する姿を。もしこの夏が彼にとって最後だったら、私にとってこの曲はもっともっとトラウマになる。
でもそこに立ち会わなければどうなる?
私は彼の最後を知らないまま終わる。
行けるのに行かなかったなんて、それはたぶん今以上の後悔をする。
なんか、そう思うくらいあの子を好きだなんてことが、ちょっと自分の中では意外なんだけど。
いや、数ヶ月前から担当やんって話だけど、自分で決めておきながら実感が無かったので。


後悔をしたくないんだなぁ。
担当だって言わなかったことに対しても。

照史担の時からの友達には、あの頃私は金内担だと思われまくってたし、実際そうと言われるくらいには気持ちも入ってたし現場にもいた。毎週のようNHKに向かった。
なのに、失うのが怖くて、別れるのが辛くて、担当だって言えなかった。
言わないでいれば、いなくなった時に私の傷は深くならないと信じていた。
担当ちゃうねんからそんな凹むなよって言えるかなぁって。
けどそれは間違った選択だったね。


ツイッターが嘘だとは言わないけど、ここには、このブログは、できるだけ今に正直でいたいと思いながら、いつも書いてるから、ここで名前言うには勇気いるんだけど、だからこそ言っとく。

岡﨑彪太郎くん、よろしくね。


そして、正直ついでに今の二人にも一言ずつだけ言っとく。

千賀くん、お願い。私から見えるところで見えないくらい眩しく輝く人でいて。
あなたのことは一番、何があっても手放したくないです。

のぞむ、ごめんなさい。やっぱ越えないや…ってもう何度目やねんて話か(笑)
担当3人とかだるいから降りるならきみしかいないんだけどなぁ。
越えないのにしぶといなぁ(笑)
そのしぶとさにも救われてるかもしれないや。


2018.08.05

ジャニーズWEST、5年目突入前の足踏み

このブログを書こうと思ったのは、今月発売の1万字で本人がそれなりに嘘ではないところを話してくれたから。
小瀧が言わないならべつに、見てるこっちが辛くても友達に話すくらいにしておこうと思ってた。
気付かないふりをすることが正解かもなぁと思ってたから。
話してくれたことを成長と思えるならよかったけれど、そういう風に思えなくて。
ほんと今月は始めから終わりまで、聞いてくれる友達に支えられたなぁ。


初めて中心になって構成を考えたツアー、憧れの先輩と初めての共演、初主演映画の公開。
ぜーんぶこの数ヵ月の出来事。
ツアーはまだ終わってないし、映画もまだ公開中のところもあるけれど。


この数ヵ月に入る前、私はなんだかんだ不安よりワクワクが勝ってた。それはたぶん本人もそうで。

「なんかおかしい」と、最初に思ったのは2月頭くらいだっけな。これまで言わなかったようなことを言うようになって。いや全然たいした話じゃないんだけど、べつに隠したってほどのことでもないんだろうけど、なんとなくあまり言わないでいたことなんだろうけど。けどそれを色んな機会で言うようになって。

「なんかおかしい」が「やっぱりおかしいよね?」に変化するまでそう日にちはかからなくて。公開一週間前、私はほとんど泣きそうだった。

ジャニオタを始めて13年?14年?なんかそんくらいだけど、こんなに数字が怖いと思ったのは初めてで。それは、小瀧もそうで。

それでも、迎えた公開初日。


知らず知らずの内に、気が張っていたのだと気づかされた。それは、小瀧もそうで。
ご縁があって舞台挨拶ラストに立ち会えたんだけど、挨拶終わり、一人の世界に入ってガッツポーズする姿を見た時、ああ、同じ時間を同じ気持ちで過ごしているんだなぁと思った。

小瀧は、もうやれることはやったから。やれる限りのことはやったから。
だから、私もやれるだけやってみたけれど。

けど、出た数字は、まあ、せやなってところで。


知らないわけじゃないと思うよ。どうしてメインの曲じゃないのにそんな立ち位置なの?とか、どうしてこいつばかり個人仕事あるの?とか、露出無駄に多いなとか、結果ついてきてないんじゃないのとか、ツアーの賛否両論とか、そういう数々の意見。思い。

べつに私は小瀧のこと守る気は無いし、まだまだ彼に求めたいことあるし、不満がゼロなんて言わない。
けれど、私の中で一番大事なのは、やってるかやってないかだから。

やれる限りやったもんなぁ。


3月9日のMステ。
帰宅して再生して。階段から降りてくる姿を見た瞬間、こりゃあかんわとわかって。
ツアーで見た時も、少クラで披露した時も、感動で反射的に涙溢れたのに、なんかもうこっちまで緊張してしまって、泣いてる場合じゃなくて。歌が終わった後も、なんかあんまり実感沸かなくて、涙も出なければ笑うこともできなくて。他のアーティストさんのトークやパフォーマンス中の姿を見ている内に、やっと実感が沸いて、どんどん悲しくなってしまって、彼と同じように俯いてしまった。ら、涙おちた。

いつかこんな日が来るかもしれないとは思ってた。けれど、こんなにやられてしまうなんてなぁ。


重いのかな。早いのかな。どっちもなのかな。でも、だとしても………って、思う中で、自分が2014年に書いたブログを思い出して。

http://soxxx.hatenablog.com/entry/2014/12/11/

小瀧が言ってるのはまさにこれだなぁと思った。この頃の私は今以上に小瀧に不満があったけれど、でも、小瀧の「大胆不敵」なところ、そして「メンバーを好きだって気持ち」そういうの全部が、彼の魅力で、だから、それがぶれなければ、きっと辛いことや大変なことがあっても越えていけると思っていた。
なんか根拠の無い自信が今よりあったの。今の方が色んなこと経験してるはずなのにね。

迷わないで。悩まないで。なんて思わない。だって、そういうことでまた成長するんだろうし、彼本人も「かっこよさって経験やと思うんですよね。辛い経験を乗り越えた貫禄は、まだまだ全然僕とはかけ離れてると思うので、どんどん修羅場を経験していかないと、と思います」って言っていた。

けれど、何か具体的な一つのことに悩んで苦しんで乗り越えることとは別のところ、先が見えない・終わりが見えないことに迷っていることは、だめなことじゃないけれど、いつまでもそうはしていられなくて。だから焦る。ちょっとイライラする。それが顔に出る。

取り戻し方がわからないなら、他の子方法を見つけるしかないよ。

猫背の背中に全てを委ねたいと思っていた。思ってるよ、今も私は。

私は小瀧にこうなってほしいって願いはあるけれど、小瀧がどうするかはまた別だし。別だとしても構わないと思ってる。「ちゃんと選んで」くれるなら。

やれるだけのことはやってる。やれる限りのことはやってる。
気持ちと結果がついてこない。


もう上映終了している映画館もある今になって言うなよって感じだけど、今だから言える。
ジャニーズWESTのファンの方、一人でも多くの方に、プリンシパルを観てほしいです。

私は全然他担が小瀧のこと叩いてくれていいしdisってくれてもいいと思ってて。だってそれは評価の一つだし。でもできるならば、せめて映画を観てからそういう発言をしてもらえたら嬉しいなぁ、って。ぬるいこと言うなよって話でごめんだけど。
上手いとか下手とか私は言えないし、言えよと言われればあんま上手くないってぶっちゃけ思うけど、作品を大事にしている、役を大事にしている、それが伝わってくる演技だったなぁって思う。
そういうところ、本人は自画自賛しないので、おまえもっとさぁ前みたいに自分を誉めてやれよって思うんだけどさ。

君の魅力は君が気づいてくれていなきゃ。

甘えん坊とか言うててさ、大事なところでさ、自分一人でなんとかしようってするところ。そこが好きだけど、そこが結果的にグループにも本人にもマイナスに働いてしまうのならば、辛いよ。そう選ぶなら、それなりの気持ち強く持たなきゃだよ。って、そんなん言われんでもわかってるか。だから、辛いのかな。


私は私のやれるだけのことを。
この週末も映画館で会える喜びをただ噛みしめる。

グレーを選ばない須藤凜々花さん

そもそも、私が須藤凜々花さんを好きになったのは、これがきっかけだった。

突然前に出てきた、推され始めた彼女に対して、他のメンバーのファンから「なんかコネでもあるんじゃ?」「もしかして枕?」と言う言葉がネットなどで溢れていた時に放ったツイート。
f:id:Soxxx:20170826213142j:plain
ほんとに、びっくりした。自分が処女だってことをこんなに堂々と言うことがあるなんて。びっくりしすぎて、感動してしまった。
正直私も彼女が推され出した時、不思議で仕方なかった。そんなかわいいと思わなかったし、他のメンバーを越える何かを彼女が持っているとも思っていなかった。
でも、このツイートを見て、わかってしまった。
他のメンバーを越える何かがあるかはわからないけど、他のメンバーとは違うものを持っているってことが。

そう気づいたら、もう早かった。好きになることを止められなかった。
彼女は私が思っていた以上に薄情な人間だった。それが私に「追いかけたい」のスイッチを入れた。決して冷めているわけではないんだけど、とてもあたたかい人ではなくて。自分に対するこだわりは強いのに、他人に対しての興味は薄くて。でもそれは悪気があってじゃない、「なんか無意識にそう」ってやつだった。それがなんか見てて面白かった。
そして、そんな彼女がどんどんメンバーに対して重くなって、「NMB48好き好き大好き メンバーの卒業なんてわかるけどわからないさみしい」みたいな目でメンバーの卒業を見送るようになったことは、もっと面白かった。

自分自身についての言葉とか自分対世間についての言葉だけが熱かった彼女が、メンバーとかNMB48とか48グループについての言葉を発する時強烈な言葉選びで思いを伝えるようになったことが、どれだけ愛しかったか。

定期的に炎上させる凜々花さんを推してることが楽しくて仕方なかった。
適切な言葉、嘘のない言葉で、周りをほめたり殴ったり笑ったり怒る姿が楽しくて仕方なかった。


総選挙で結婚宣言を発言した時、さすがの私も頭が真っ白になった。そんなこと言われるなんて想像してなかったから。
でも少し時間が経てば、案外あっさり腑に落ちてしまった。










それでも、私はアイドルオタクだから、もう一度、今度は推されとか枕とか言われずにセンターに立つ姿を見たかったって思いがどこかであった。そんなことはもちろん叶わず卒業していくんだってことだけが寂しくて寂しくて仕方なかった。未練のようなものを、8月5日までたしかに感じていた。


卒業する今日、涙は流してもただ負の感情だけで過ごさずに済んでいられるのは、凜々花さんへの愛が勝ったからだけじゃない。凜々花さんが愛しているNMB48の存在がそうさせてくれたんだと思ってる。

8月6日。NMB48コンサート。メンバーみんなが、会場にいる方々が、凜々花さんに彼女自身の言葉を発する時間をくれた。それが全てだった。
結婚宣言をしてから、メールもブログも制限され、もしこのまま凜々花さんの言葉が聞けないまま卒業しちゃったら…と想像したら寂しくてたまらなかった。私は彼女の言葉が好きだから、それを奪われ、死んだようにしている彼女しか見ることができないなら、そんな彼女でしか彼女が卒業できないなら、卒業公演もせずにいなくなっちゃえばいい。それくらいに思ってた。
だって、誤魔化すのは、ひっそりしてるのは、私が愛してる凜々花さんじゃないんだもん。それに、そんなの、凜々花さんが一番嫌なはずだった。
だから、8月6日公演後、私はもう二度とステージに立つ彼女には会えないのに、泣いていたけど心が満たされていた。



凜々花さんは、極端でしかいられない、嘘のない、素直でしかいられない………違うか。
極端でもいい、嘘はつかない、素直でいたい。そういう人だ。だから好きなんだ。

https://mdpr.jp/interview/1709448
https://mdpr.jp/interview/1709447

卒業おめでとう、凜々花さん。
ずっと大好きです。
これからも濁りのないあなたの言葉を、耳で、肌で、心で感じていたいから、どうか夢を叶えてね。

後ろめたさを噛み砕く

自担に「後ろめたいなぁ」って気持ちを抱いたままでいることはまあまあしんどい。

今私が担当にしている二人は、どちらも逃げ道として選択したようなもんだったから、いわゆる元担にも降り先にも後ろめたいなって気持ちがしばらくあった。今もその後ろめたさが0になったかと聞かれると正直0じゃない。


千賀くんを選んだ2011年。あの時の私は今より子供で、現実を受け入れる勇気が無かった。照史がそこまで背負う必要も追い込まれる必要も無いやんかって切なくて苦しくて逃げた。逃げるくせして、無関係にはなりたくなくてジャニオタをやめることも出来なくて。勝手なんだけど、照史がデビューしたら出戻ろうかなレベルで、とりあえずの選択で千賀くんを選んだ。
千賀くんを選んだ一番の理由はちょうどその時デビューしたばかりでその中で一番顔が好きだなと思ったから。きっかけがクソだから今も担当でいることが超不思議。不思議だけど、千賀くんの担当でいることに対する違和感は気づけばもう無いから、それがもっと不思議。

照史がデビューした時、心底ほっとした。そして、逃げた自分をやっと肯定できた気がした。これで照史担に戻れる……って思った。

戻れないところにいた。千賀くんを自分と切り離すことが難しくなっていた。

正直、担当として応援するようになってから、楽しいことよりも辛いことの方が何倍もあって。降りたい降りる降りてやる詐欺を何度もした。詐欺だけど本気の時だってあった。
でも、そう思う一方でもう一人の私が強く「降りたくない」って叫んでた。その理由は言葉にするには難しいんだけど、わかりやすく言うなら「千賀くんにしか無いもの」を見つけてしまったから。
彼は大人にはならない。ずるいくらい子供のままで、キラキラしてて。自分のやりたいこととアイドルの自分に誇りを持ちすぎてて、マジでプライドエベレスト。ワガママで嘘がつけない。もしかしたらそれは他の人も持っているのかもしれないけれど、千賀くんの温度や質量が私にとっては「ちょうどいいもの」になっていた。

自分にとって千賀がそういう対象になっていることにびっくりしたけど、少し嬉しかった。そう思わせてくれた千賀に対しても、あの時の自分の選択が肯定された気がしたことも、照史が夢を叶えたことも。


今思えばここで、千賀くん限りで終わらせとけよって話だよなぁ(笑)
ここで終わらないのが私のクズさだよね…。

ジャニーズWESTがデビューした頃、千賀くんが置かれてる状況は最悪で。おまけに推し(Jr.だからというのを理由に担当にしなかった人)はついにラスト一年を迎えて。死ぬ気でジャニオタやめたかったんだけど、でも、逃げ道として選んだ千賀くんを降りるとか捨てるほどズルくなれなかったし、推しを送り出さなきゃ後悔するのは目に見えてたから、私は次の逃げ道を探した(クズ)


のぞむを自担にすると友達に告げた時「今更小瀧?!」って驚かれたことを覚えてる。そんな友達にムカつくこともなく、「そうやねんほんま今更」と返した私。
逃げ道としての選択肢がのぞむしかいなかった。デビューした7人の中で照史の次に誰が好きかなって考えたらそうだった。
昔から顔がまず好きだし、ただの美少年じゃなくて笑いに執着する貪欲さも好きだった。高校生の間にデビューできなければ美容師になろうと思っていたところも好きだった。

これ全部、今はもう辞めた推しと同じで。
今だから言えるけどマジで代わりでしかなかった。逃げ道でなんとなく選んだんじゃない、その要素が無かったらたぶん担当になんてしなかった。
代わりだからこそ、嫌いになるのが怖かった。のぞむを嫌いになるってことは、推しを嫌いになるのと同じだって思っていて、のぞむが調子乗ってあららなことをする度に本気でムカついたし、困っていた。のぞむのこと嫌いにならないように必死だった。

のぞむは厳しい。千賀くんのことで辛いことがあったら逃げ道になってくれたけど、推しに感じた寂しさとか悔しさとか切なさは忘れさせてくれない。
のぞむは当たり前のように過去を大切にしてて。高校時代の話をする時や関西ジュニアの話をする時、私がそんなつもりで聞いてなくても連想させるような話し方をあいつはする。何度ムカついたことか!!!
その愛が苦手だった。今も苦手。私は人をあんな風には愛せない。合わないからしんどい。自分とは違う人種に思える。けど、気づいたらそこを好きになっていた。歌や演技やダンスが誰よりも上手なんてことは無い人だけど、誰かを愛するとか想う気持ちはほんとうに誰よりもってくらい大きいなぁって。私はそれが合わないと言いながら、すっかりその温度に甘えていた。
こればかりは、のぞむが持っているものだ。だから、のぞむは私が大好きなあの人の代わり(コピー)になんてなれない。
でも、もう仕方なくで担当になんかしていないよ。こんなに好きになるはずじゃなかったってくらい、好きだって思ってるよ。


逃げ道として選んだ人に対して「あなたじゃなきゃ」と本当に思うまでってそうとうの時間がかかるんだなぁって何度も心折れたけど、千賀くんは少し前、のぞむはほんとつい最近、やっと自担なんだって、ちゃんと受け入れられたから、そのお祝い(?)にこのブログを書きました。
昔私が思い描いていた未来とは全然違うところに今私はいて。未だに後ろめたさは0にはならないけれど、じゃあ不幸かって聞かれると、不幸なんかじゃない。そういう温かい場所には来れたよ。
「好きだ!!!」ってこんなに思わせてくれてありがとう。
これからは、きっかけがサイテーすぎたことなんてどうでもいいかな~(*・∀・*)ってくらいにまで好きになれたらいいな。